木の洞

私はNTT系列のような大きな、キャリアパスがはっきりした会社に所属したことはないのだけど、以下の部分に強く賛同した。

これまで管理職見習いをなんとかやれたのは技術力がまだ生きているおかげだと考えています。それによって部下とスムーズに会話ができ、他部署との議論をリードすることができ、上司から信用を得ることができました。しかし、全く手を動かせない状況が続けば早晩技術貯金は尽きてしまい、管理職としてもダメになる可能性がありました。

いわゆる「管理職」であった3年ほどの間、それまで経験のなかったマネジメントにチャレンジする機会を与えられた一方で、自分で専門性があると感じていた・考えていた部分は次第に加水分解されて形を留めないイメージになってしまい、約半年の明確なスランプを経て、全く価値を失ってしまったような気がしている。価値というのは「会社に提供できる価値」で、自分自身のことではない、はずだったのに、自分で自分を追い込むことばかりが得意だったために自ら災難を呼び込んだ(特に会社は良くも悪くも関与していなくて、たぶん自分自身の気の持ちようとか、考え方、行動のパターンなどによるものが多そう)ような感じ。以前できていたことがすんなりできなくなり、それが加齢による単なる後退なのか、なんなのか、よくわからない。

その「価値」は、「貯金」と表現する方が適切だな、と先ほどの記事を読んで思った。本当にわずかだけど時間で利息が付くのに、全体で見ると減りっぱなしみたいな。いま袖を振ってもなんにも出てこない。よく信用貯金という表現はあるけど、技術も「貯金」で表せることを知った。

こう書いているとやたらとネガティブな考えに見えると思うけど、ネガティブというよりはうろを覗いている感じ。木の洞。できてしまえば元には戻らなくて途方に暮れて木の洞をぼんやり見てる、そういうイメージです。