社交辞令をゆるさない

というタイトルの、ウッチャンナンチャンのコントが昔ありまして。古典的名作なのでつい書いてしまった。

「今度遊びましょう」「今度飲みに行きましょう」みたいなお約束の言葉あるじゃないですか。「お近くにお立ち寄りの際は」的な。あれがとても苦手で、自分では極力口に出すまいと思ってきました。ずっと苦手だったけど、ふと、大学時代に、みんな言ってるし私も言ってもいいのでは、みたいなことを考えて、何かの拍子に久々に顔を合わせた語学のクラスメイトに言ってみたんですよね。飲みに行こうねって。そしたら、たまたまだったけど、その場にいた別のクラスメイトが「そういうのって言うだけになっちゃうんだよねー」ってツッコミ入れたのです。本当にたまたまだったんだろうけど、私にはそういう軽口も許されない雰囲気があるのか、ならばなるべく避けよう、と思ってきました。だから、本当に飲みに行ってもいいなというときだけしか「飲みに行きましょう」「飲みに行くぞ」という意味のことを言ったり書いたりしないし、「いつか◯◯に行きましょう」みたいなことも実現可能性があるときにしか使いません。

◯◯しましょうって言った人が、その後言ったこともその考えも忘れてしまうのを、本当に何度も見てきました。期待するだけ無駄だ、だったらすべて社交辞令として受け流そう、期待の気持ちを持つ方が悪い、とずっと思ってきました。それでもつい前に言われたことを思い出して前こう言ってましたよね、みたいな話をしたときに、そんなこと言ったっけとか、それネタだよとか、やっぱり言われるわけです。そりゃ間に受ける方が悪い。でもはなから疑ってすべて流して会話すればいいのか?

ずっと昔にお世話になって、ここ何ヶ月かで片手分くらい会う機会のあった人のことを年内にブログに書こうと思って、なんとなく脳内で構想を作っていたら、その人はそういえばそういう社交辞令を言わない人だな、ということに気づきました。いや本当にそうなのかどうかはよく知らないから気づくも何もないんだけど。適当なこと、は言うかもしれないけど、本心じゃないことは言わない、みたいな。発言は忘れてしまって、そんなこと言ったっけ?くらいは思うかもしれないけど、真意は同じなので出てくる言葉は同等、というか。私もそうありたいなと願ったので書いておこうと思いました。