相変わらずパンを焼く

パンを焼くようになったことは何回か書いているので割愛する。今日は工程の違うパンを2種類焼いた。どちらも非常にうまくいって満足。パンが思い描いたように膨らんでくると幸せな気持ちになるのが不思議。スリムなパウンド型とアーモンドプードルとスキムミルクも買ったのでお菓子も作れる準備ができた。しかし牛乳を買う習慣がなくて牛乳を切らしてしまったのと、もう遅い時間なのとで断念する。

blog.3qe.us

こちらを見て、記事末尾にMastodonのシェアボタンを設置した。自分でFediverseのサーバを立ててみたいと考えたが、パンを焼いているとまあまあ時間的に難しいな。ポモドーロ的な使い方をすると有用なことはわかってきたんだけど、じっくり腰を据えてやることに関してはパン作りとは両立させづらい。とりあえずTwitterMastodonを併用する方向でしばらくやっていこうと思う。

追記

ボタンがうまく動かないけどすごく眠いのであとからなんとかします。たぶん#あたりがよくない。

追記2

ボタン直しました!

体調はとんとんくらいでちょうどよい

3月のタスクを振り返る機会があった。タスクの量というよりは勤務時間にあまり元気が見られない*1。1日ばりばりがんばっている、みたいな日と、なんかしおれている、みたいな日のムラが激しい。

追々書いていくと思うけど、40代も後半になると「1日めいっぱい体調がいい日」というのはほぼなく、どこかしらに「ただちに致命的な影響はない、たいしたことのない不調」を抱えながら毎日を送ることになる。私も例外ではなく、まあまあ波がある。これまではその波をならそうならそうとして、平均的なパフォーマンスを出すように心がけてきたけど、3月はちょっと方向性を変えて波を放置気味にしてみた。放置気味の方が収支でとんとんになる感じがして飼い慣らせそうである。こういう実験も週単位、月単位で必要になってきている。

人間の耐用年数としてはだいぶ後半になってきたわけで、歯なんてだいぶ早いうちに1回生え替わるだけなんてひどい話だ、と思っている*2。目はだいぶ前にリーディンググラス(老眼鏡)を作っているけど、幸い裸眼では朝夜のスマホが厳しいくらいで今もなんとかなっている*3。パソコンを使う職業でよかったなと思う。

*1:いわゆる残業時間は少なくなっているので大変いいことではある

*2:20歳くらいでもう1回生え替わってもらえるとうれしい

*3:細かい文字を書く時・読む時は老眼鏡をかけないと鮮明には読めない

15年の胆力

大事MANブラザーズバンドの「それが大事」の歌詞をぐぐって調べようとしたらこうなった。

負けない事 投げ出さない事 逃げ出さない事 信じ抜く事
駄目になりそうな時 それが一番大事
負けない事 投げ出さない事 逃げ出さない事 信じ抜く事
涙見せてもいいよ それを忘れなければ

おまえ何様やねん、とお思いの方、ツッコみたい方、いらっしゃると思いますが、私も同感です。基本的にはどうしても逃げないといけない時は逃げた方がいいし負けてもいい、負けるが勝ちっていうことわざあるじゃん、っていう派です。ということをエクスキューズとしてまず書きます。

あと3ヶ月で今の会社に入って15年が経ちます。まじかよ。一般的なこれまでの日本社会としては普通の年月ですがITベンチャー的にはだいぶ長い方ですね。

もちろん順風満帆でやってきたわけではなく、山あり谷あり、どなたでも同じことと思いますが、くじけそうな時もあれば実際にくじけた時もあるし、調子がよかった時もよくなかった時もあるし、5勝5敗5引き分けくらいの気持ちでいます。会社の業績とは別軸で、個人としてはとんとんくらいでまあまあいい方なんじゃないかなと思っています。そうでないと長いことやってられねえ。

ひとつの会社に長く勤めることに逡巡がないと言い切れるかというと言い切れません。ただ、新卒入社した会社が5年ちょい、次の2~3社目がそれぞれ1年半前後という感じで、ややジョブホップ気味だった身としては、なるべく根気よく長く勤めようと考えてきました。いろいろ話を聞いてもらってる夫いつもすまん。そして新卒での就活でめちゃくちゃつらい気持ちになったので、「もうあんまりそういうことをすすんでしたくはないなぁ」というずぼらなマインドもあることは否めません。

やや過ぎた言い方になりますが、「長く勤められる会社なんだよ~~~」というのを示していけるようでありたいと今では思っております。この話を同僚とした時に「1ヶ所にとどまるのもそれはそれで胆力が必要なんだなと思います。環境を変えていくのと使う筋肉が違うっていうか」という同僚からの発言があり、確かに本当にそれはそうだなと思います。

一方で私の属性として「いろいろなことに好奇心を持つが飽きっぽい」というところもあり(これはまた別の同僚から別の話題で言われてなるほど確かに、となった)、飽きっぽい自分でも社会人をひとところで15年続けてきているというのはまあまあいいことなんではないかなと、そういうふうな解釈に置き換えるようにしました。

趣味関連であれやこれややって増える一方なのは、どちらかというと「興味を持ってその後熱は多少引くけど執着心がすごい」という感じで、執着心の強さはどちらかというと自分の弱点なので、克服したい。仏教の「犀の角のようにただ独り歩め」という言葉がとても好きです。

結婚について

昨日書いた記事に、自分に関する「結婚」の文字が1回も含まれていなかったことに気づいたので、なんとなく付記。

やはりご時世という事情があったのだけど、結婚というのは美男美女で金持ちだけがするものだ、という強い強い刷り込みがあり*1、かつ「結婚=夫に養ってもらう(専業主婦になるかパートに出るかする)」という図式が今よりもずっと強かった。少なくとも個人的にはそのように育ち、女性誌などでそのような価値観を培った。

しかし私がとてもラッキーだったのは、父親は「娘には自分がかなえられなかった大学進学の道を進んでほしい」という強い意向を持っていたことと、母親は「自分のように勉強ができないことで苦労をさせたくない、自分の手で稼げるようになってほしい」と願っていたことだった。

もし双方の意見がうまいこと沿わなかったら、たぶん私は高校進学の時点で商業高校か工業高校に行って、早く自活できるようになろう、と思っていたに違いない。実際当時はそのように進学して早めに社会に出てきっちり稼いでいる同級生もいた。今の選択肢としてはさすがに難しいのかもしれないな。

で、結婚という選択肢は一切持たぬまま社会に出た。とても正確に、かつ慎重に言えば、お付き合いをしている人はいたけれど、その人との結婚は考えなかった。もうちょっと踏み込んで書くと、結婚に夢を持っていなかったといえばだいぶ正解に近いだろうか。書き言葉にするには表現が難しい*2

当時の結婚適齢期であるところの「売れ残ったクリスマスケーキ(26歳)」*3を独身で通り越し、一切結婚を考えないまま過ごし、31歳で結婚した。「は?」とお思いであろう。当時の日記がここに残っているけど*4そういう反応を多くいただいた。当事者の私ですらそう思う。何事にもタイミングというものがあると知ったのは本当に31歳の時でしたね。ありていに言うなら両親の離婚を機に結婚を申し込まれたのだけど*5、ベストタイミングで、後にも先にも他の時期だったら結婚を決意しなかったと思う。

その結婚にも「仕事」という呪いはついてまわる。とりあえず「結婚しても異動・退職しなくてよい」という身分を転職によって手に入れており、運良く旧姓を使ったまま仕事ができ、これまた運良く「女性でも*6長く働けそうな職場」にいたからなし得たのだった。これでもし一般職*7だったら即寿退社だったよ……。なんなら同級生には「同級生との結婚退社を前提に金融機関に入社」した人がいたからなぁ。今だったらdisられるだろうなぁ。

*1:むしろ当時は全然そんなことはなくて、今の方が大変だ、となっているな

*2:そんなに深刻な話ではなく、飲みの席とかでは適当にしゃべれるので、もしなんか聞きたかったら話題を振ってください

*3:クリスマスイブの24歳、クリスマスの25歳を過ぎても買われなかったケーキになぞらえた言葉。ある時期からなぜかぷっつり言われなくなって大変めでたいですね

*4:はてなダイアリーすごいっすね

*5:語弊しかないのでここも適当に話題を振ってくれたらしゃべります

*6:これ何度も書くけどほんとすごい時代だったな

*7:前の記事の脚注を参照

25年目の春に

今年で社会人25年目に突入したわけですけど、新卒入社した頃はまさか自分が20年以上も社会人をやれてるとは思っていなくて、30歳を超えたら自分に職はあるのだろうか?と真面目に考える時代で*1、公務員試験方向に行って長く働く手段を得るにはダブルスクールする金銭的余裕がなかったし*2、銀行や商社の一般職*3には容姿の観点で全く受かる気がしなかったし*4、結局せめて自分が好きな分野でと思って入社した最初の会社ではやることは楽しかったけど長く働くロールモデル*5はいなくて、だいたい結婚してしばらくして子どもができたら会社を辞めていく、という中でどうやったら正規雇用の職を得ていけるのか*6まったくわからない、闇のような世界に出たなと思っていた。

それが約四半世紀経ってみたら、まあまあ楽しく日々を暮らし、仕事をし、なぜかパン作りという新しい趣味を得て*7過ごしているのだから、本当に人生どうなるかわからない。まじでわからない。もちろん25年の中にはつらいこともしんどいこともたくさんあったけど、どうにかこうにかやってきている。健康はぎり維持できている*8

1999年4月の溜池山王近辺の桜を見ていた自分に、「あなた割と長く働くことになるから、まあそんなに力まなくてもいいよ」くらいは言ってあげたいけど、今よりもだいぶとんがっていたので*9、言うこと聞かなさそう。まあそもそももう5年遡って「あなた文学よりも法律に興味持つ可能性高いから法学部か何かを志望した方がいいよ」の方が効果的なのかな。文学部を出たことは特に後悔はしていないけど、興味・関心の幅が狭かったのは残念に思っているので。

*1:何か食い扶持を得たくて図書館司書の資格を取ったし、それで生きていきたかったけど、なんと25年前から図書館司書は不遇なのであきらめたのだった

*2:ダブルスクールしなくても受かる頭があればよかったかもなぁ、くらいは思った

*3:全国転勤のない、事実上女性だけを対象とした総合職とは異なる職種。って書いて今の人はわかるのか……?

*4:総合職の男性の結婚相手という性質があった。本当にそういう時代があったんです

*5:ロールモデルっていうのがそもそもなかったな

*6:就職氷河期の最後の方。フリーターになる人も多かった。結婚して産休を取るなら正社員じゃないとだめそうだと思って、とにかく正社員になりたかった。当時はまだ子どもを持つのは当然っていう世情や自分の気持ちはあったのよ

*7:10代の私に言ったら絶対に信じないと思う

*8:不健康な生活を送っているので、真面目に生きても40代くらいで死ぬんじゃないかと思っていた

*9:ご存じの方はご存じ。だいぶ丸くなったよな

結局帰ってきた

ここが私のWeb日記・ブログのベースだというのは変わっていなかったのですが、リトルプレス(同人誌、日記本)用のブログを作ってそちらで日常を記録していたこともあり、ここはしばらくお留守となっていました。が、帰ってきました。その日記本のためのブログが突如パンブログになったからです(パンの本として世に出したい)。

たぶんまた何か書いていくと思いますのでよろしくお願いします。

スタンダードブックストアにいる

大阪は天王寺にある「スタンダードブックストア」という書店・カフェに来ている。

もともとは心斎橋にあって、雑貨と、さまざまなジャンルの本がそろう、結構大きな本屋さんだった。私が大阪にいた2007年から2011年にかけて、何度となくお世話になった。だいたい心斎橋に何かの用事で来ると、ふらりと立ち寄って、立ち寄るたびに2、3冊本を買って帰った。運良く本を買わずに済んだ時は、雑貨を買っていたので、手ぶらで店を後にすることはあんまりなかった気がする。

お店を知ったのは私が無職の時だった。夫の転勤で、東京で勤めていた会社を辞めて大阪に引っ越してきた時、私はどこに行っても文字通り迷子になっていた。淀川より北にいて、淀川の南側に向かう時はいつも緊張していた。キタ(梅田を中心としたエリア)はもちろんのこと、ミナミ(心斎橋・なんばを中心としたエリア)に自分の力で行けるようになるまでにはちょっと時間がかかった。

そんな頃のランドマークのひとつが心斎橋にあったスタンダードブックストアである。無職だった私は自分がこれから何をやりたいのかもわからず、Twitterはてなダイアリーを見ては日々を過ごして、ちょこちょことハローワークに行って求人活動をして、スタンダードブックストアに並ぶクリエイティビティあふれまくった本の数々を眺めてぼんやりとしていた。ここには私の入ることのできる隙間がない、と焦ったり、面白い本を見つけて喜んだり。そのうちひとりで迷わずお店に行けるようになって、同時期だったかどうかは忘れちゃったけど、再就職も果たした。これから大阪で暮らしていくんだという気持ちが根を張った頃でもあった。

いろいろあって2011年秋に東京へ引っ越した後も、大阪に来る用事があってさらにチャンスがあったら足を運んでいたものの、2019年に心斎橋のスタンダードブックストアは閉店した。天王寺に新たな店舗ができたが、残念ながら天王寺へ行く用事はなく、なんだかんだとせわしい大阪訪問の中であえて新店舗へ行ってみる余裕はなかった。

コロナ禍で大阪に移動する機会はその前よりは激減してしまったけど、今回の大阪訪問でたまたま、すぽっと時間ができて、自分ひとりで天王寺エリアを歩くのは初めてだったが、Googleマップを駆使して迷わずたどり着いた。

コンセプトも棚の内容も何もかも心斎橋のお店とは違っていたけど、ちゃんと「そういえばここがスタンダードブックストアだったのだ」と最初から思えるような本屋さんだった。私の興味・関心の一歩前をいく棚の感じ。ぼやっとしていても大丈夫だと思えるカフェの感じ。中身は違ってもまたランドマークになったようなそんな感じ。今回も無事本を4冊買うはめになった。

またひとりで来られるようになったので、また本を買いに来よう。